一人目の恩人

ホットニュース、2011年1月21日号 No.94より抜粋

「一人目の恩人」

1970 年代、日本は高度成長経済の真っ只中でした。
この時代に私は自分の生き方、考え方が大きく変わる3人と巡り合います。
今でもこの3人の人に合わずにいたら、今の自分があったか定かではありません。
一人は水道工事と燃料店を営んでいた人です。年齢は60歳ぐらい、初対面では馴染み難く、親しくなるには時間がかかる人でした。
当時はどんな業種でも業績は右肩上がりで、よほどのことが無い限り、店は少しずつでも大きくなったものでした。
しかし、この方の店だけは別物で、売り上げが伸びたなどということを聞いたことがありませんでした。
むしろ店を大きくしないようにさえ感じていました。あるとき私は勇気を出して不思議に思っていたことを聞きました。
「なぜもっと売り上げを伸ばしたり、店を大きくしないのですか」返ってきた答えは、私の想像からはかけ離れた、思いもよらぬ答えでした。
「小池さんも承知していると思うのだが、僕には障害を持った16才の男の子がいる、現在の日本では障害を持った子が自立し成長できる環境が整備されてない。社会がこの子達を受け入れてくれる環境を作る、障害を持った子供達が生き生きと暮らせる環境が必要なんだ。商売は家族3人が食べられるそのためにやるだけ。僕は多くの時間をこの子のため、多くの障害を持った人のために使う、国や都や市に働きかける、障害を持った父母をもまとめることを考えると、時間はいくらあっても足りないのだ」
商売のことしか頭に無かった私は、話を聞き、しばらくは返答も出来ませんでした。
自分のこと家族のことしか頭に無かった私は大きなショックを覚えたのを今でも忘れません。
「そして人間は社会とかかわりながら生きていく、だから出来る範囲でいいから地域や社会のことも商売とかかわら無くても積極的でなければならない」こう言われました。
その後もこの人の生き方を注意深く見ていると、障害者への成果を市から勝ち取っても、自分の子を優先するのでなく、障害の重い順に成果を振り分けるなど、多くの人に慕われ、尊敬される存在でした。

私はこの人に少しでも近づくことが出来ればとの思いから、商店街や商工会、さまざまな地域活動にかかわり、現在も自分が社会のために少しでも役に立つなら、出来るだけ断らず引き受けるようにしています。
おかげさまで気がついたら6つもの役職に付いていた。笑い話にもならない粗忽な人間です。
それでも一番喜びを感じるときは、人から感謝された時、「やっててよかった」と思えるときです。
二人目三人目の恩人の話も、機会がありましたらホットニュースの紙上でお話できたらと思っております。

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