三方よし

2009 年12 月18 日号No39

私は小学校の5年生まで滋賀県大津市琵琶湖のほとりで育ちました。山があり、川があり、日本一の湖があり、遊ぶ事には事足りる環境がありました。

滋賀県と言えば忘れてはいけない「近江商人」。小さい頃から「近江商人」ほど立派な商人はいないと聞かされました。

伊藤忠や丸紅の創始者、西武グループ、高島屋、大丸、西川産業、東レまだまだ日本の有数の企業創始者を沢山輩出しております。

「近江商人」の商売の理念というべき根本に「三方よし」という言い伝えがあります。

近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切でありました。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」であります。

取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないこと、まさしく今で言う「社会貢献」です。

血縁地縁のない他国で商いを始めることから取引を重ねるたびに信頼信用を大きくする。もともと卸商であったことから薄利多売を身上とし、売る側が悔やむぐらいの口銭で我慢する商いを極意とした。たとえ品薄の時であっても余分な口銭を取るような取引を禁じていた。

そして、「しまつしきばり」倹約につとめて無駄をはぶく、「しまつ」は単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることであり、「きばる」は、近江地方では「おきばりやす」という言葉が挨拶代わりに使われる。

私も小さい頃、学校へ行く時には決まって「きばっといで」と送り出されたものでした。「きばる」は自分がきばることと他人にもきばることの両方に意味があり、近江商人の天性を一言で表現した言葉です。

更に、商人の手にする利益は、権力と結託したり、買占めや売り惜しみをしたりせず、物資の需給を調整して世のなかに貢献するという、商人の本来の勤めを果たした結果として手にするものでなければならない。そうした利益こそ真の利益であると伊藤忠の創始者伊藤忠兵衛の座右の銘として残っている。

今から250年も前に「近江商人」は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なったとの記述が沢山残されています。

フローレの新しい理念の素案を作っている過程ですが250年前に作られた「近江商人」の「三方よし」という理念は現在においても立派に輝き生きています。

一番大切にしなければいけないことの価値観が私の中で変わり始めています。フローレを初めて25年いつも沢山の商いをする事、会社を大きくする事を心がけてきました。しかしそれは間違いだったと思うようになってきました。会社が大きくなる事で、お客様の要望、お客様の願いを叶えるお手伝いができるか・・・・

それは会社の大小ではなく、自分達は誰のために存在しているのか?そのために精一杯汗をかくことが最も重要であることが「近江商人」「三方よし」の理念の中から少し理解できました。

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正解は一つではない

2009 年9月4 日号 No24

先週のホットニュースでは人は成長し続けなければいけないということを書きました。しかし自分は一向に成長していないのではとふっと思った。

多くの人の影響を受けながら生きてきた。節目節目では大きな影響を受けた人がいる。

30 代前半で出会った彼は、私の話を自分のことのように聞いてくれた。怒っている時は私と共に怒ってくれる、悲しい時には共に涙を流してくれた。愉快な時には大声で笑ってくれた。そんな彼に出会い自分も将来は相手と同じような感情を持って人の話を聞くことが出来るか?

いや、そう在りたいと思ったが、未だに出来ていないように思う。現在は悩みや相談があると決まって1人の人を訪ね相談にのって頂く。いつでも嫌な顔一つせず、黙って私の話を聞いてくれる。始めは私も良く理解できなかったのですが、その方は結論や正解を出すことを急がない。

そして私が正解を導き出せるヒントを沢山話してくれる。こんな話もしてくれた「物事の多くは、正解は一つとは限らないんだよ」その時点で何が正解なの
かは解っていても、私が正解へたどり着くように導いてくれる。

そんな時、自分が少し成長したかのように思うのだが、何時も物事を一面的にしか捕らえていないように感じている。もっと複眼的、多面的に見られるように心がけている。

もう60歳を過ぎてこんな話をしている場合ではないのですが、そのような人が自分の身近にいると言う事は幸せな事であります。皆さんはもっと身近にそのような人がいるわけですから、恵まれた環境だと羨ましく思います。

私のようにもっとドアをノックして、自分の思いを聞いてもらってください。いいヒントをたくさん聞かせていただけると思います。

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日本の花文化

2009 年7 月17 日号 No17

7 月16 日の送り火でお盆が終わりました。
私の住んでいる府中近辺では、旧甲州街道沿いを府中から調布へ向かうあいだ
に7月20 日、7月25 日、8月1 日と5 日ごとお盆が移っていきます。

その昔、養蚕が盛んで、蚕の餌である桑の葉を収穫するのが忙しく、ずれてい
ったのではと言われています。

お盆は明治6年に新暦が採用された時から7月15日と定められました。しか
し東京や北海道、山梨などの一部分だけ新暦になり、それ以外のほとんどの地
域では未だに旧盆8月15日にお盆を執り行っています。

お盆は一年に一回、仏様が自宅に戻ってくる日です。迎え火をたき供物やホオ
ズキ、そしてきれいなお花を飾ります。

お盆にはとりわけ奮発し花や供物、仏様の好物などを供えます。

古くから日本人の生活の中で根付いてきた仏花はつい最近まで花屋で最も大
事な商売と位置づけられてきました。私も少しの間修行した花屋さんで「花屋
の商いの基本は仏花」と教えられました。仏花は仏様に供えるだけでなく、そ
こで生活している人達にも部屋にも賑わいや潤いを持たせています。

日本の仏花はヨーロッパでダイニングやリビングに飾る花の役割も担ってい
ます。仏花を通して花の文化が日本人の生活に浸透していきました。

最近では仏花も含め花の利用が減少していることをあわせ考えれば、仏花の売
り場でも新しい提案が必要に思います。

仏花だけではなく日本古来よりの活け花などの伝統的花の文化の発展にも、
私達は責任の一端を担っています。

日本の風習や習慣の中にはお盆ばかりでなく必ず植物や花が主役や脇役で登場
します。「お月見」や「お彼岸」の花、「お正月の門松」から「七草」、「桃の節
句」から「端午の節句」。

これらは日本人が季節や自然、そして花を生活の中で大切に育んできた証です。
その業界の中で共に働くものとして、お互いこれからも日本古来の風習を大切
にしていきたいものです。

 

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「心」をつないで

2009 年7 月10 日号No16

日本代表にも選ばれ先頃おこなわれたワールドカップ予選にも出場、豊富な運動量で日本のバックを支えています。

彼は中学時代に抜群のサッカーセンスとテクニックで常にクラブの中心にいたそうです。ボールのあるところにいつも彼の姿が、いつもボールを追っていました。

長友を大きく変えたのは高校時代です。「サッカーは足でやるスポーツでなく心でやるスポーツ」だと恩師から徹底的に鍛えられます。

彼は一試合90分間に15km、走るそうです。そのほとんどはボールを持たない走りによるものです。デフェンスでは激しい当たりに、厳しいマーク、攻撃では全力で走り、他の選手にパスが出やすい状況を作り出す、自らボールを持つと思い切ったクロスやパス、いけると思えばシュートを打ちます。

彼は11人がいいコンビネーションで90分を闘う、そのために自分がチームのため出来ることをフルタイム考え動き回ります。

彼はサインをするとき決まって「長友佑都」と一緒に「心」と付け加えます。

フローレ21も現在3つの部門、言ってみれば三つのチームで構成されています。一人一人がお客様の担当をし、仕入れや引き当て、接客さまざまな役割をこなします。

しかし一番大事なものは全員で足りない所をお互いが補い、最終的には質の高い仕事へと仕上げることです。

それにはチームが結束して力をあわせなければなりません。皆の「心」をつなぐことです。残念ながらまだまだ出来ていません。

しかしながら少しずつその兆しが出来てきました。メインの担当、不在の時にはサブが応対していきます。

お客様への訪問もできうる限りサブも同行します。サブ担当も当然メインを担当するお客さも持っています、その逆も有ります。

個人個人の能力が高いことは必要なことですが、その能力をチームのために使い、トータルとしての仕事の仕上がりの質を高める。

自分の能力を活かすと言うことは、このことではないかと思っています。

フローレ21の中にも「長友」が一人でも多く現れて欲しいと思っております。

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