謙虚さがつくる成長と信頼

2017 年 06 月 23 日号 No423

小学校の頃、私が住んでいた小さな町は、夏にはいくつもの縁台が並び、何組もの大人が将棋を指していた。その周りを子供たちが数人囲み、勝負の行方を見守っていた。私もその輪の一番前で食い入るように見ていた記憶がある。

大人たちは相手がいない時「潔ちゃん教えてやる」そう言って将棋盤の前へ座らしてくれた。

その頃、将棋界の話題は14才で棋士になり「神武以来の天才」と謳われた、加藤一二三元名人がデビューした当時だった。
昨年の12月、その加藤一二三元名人にデビュー戦で対戦して見事に打ち負かした少年藤井颯太4段がまたまた大記録を達成した。

将棋棋士の最年少年記録、加藤一二三元名人の14才7か月を5か月破り14才2か月でデビューし勝ちに勝ち進んで21日、澤田6段を破り28連勝を達成した。28連勝は神谷5段と並ぶ連勝記録、来週月曜日には新記録をかけて増田4段と対戦する。

中学校3年生の棋士を将棋界はもちろん、テレビ新聞あらゆるメディアが競って取り上げた。藤井4段の出現で各地の将棋教室が子どもたちでにぎわい、藤井人気が社会現象化して、将棋ブームを巻き起こしているとのことだ。

藤井颯太4段が局後に語るインタビューの言葉が、いつもいつも素晴らしい。立派な成人でもなかなか言えない言葉がインタビューで聴けるのも楽しみである。

・今まで連勝できた要因は?
「当然、自分の実力以上の結果が出ているというのが実感です」

・将棋の面白さは?
「詰将棋の美しさは芸術的なものですが、将棋には勝敗があって一手に優劣が付き
ます。派手な手と『地味だけど最善手』の兼ね合いはとても難しいと思います」

・挫折はありましたか?
「挫折というのはおこがましいんですけど、小学2年の時の子供将棋大会の決勝の
舞台で、タダで角を取られたのは衝撃でした。でも、いま思えばいい経験です」

・藤井君の活躍で将棋ブームが起きていることどう思いますか?
「僕をきっかけに将棋を始めてくださる方がいたとするならば、棋士として嬉しい
ことだと思います」

・28連勝の感想?
「非常に幸運でした、はっきり負け将棋もありました。全勝できたのは幸運だった
と思います」

・今後の目標は?
「現状の自分の将棋に満足していない。一喜一憂せず、気を引き締めて、もっと強
くなれるように精進したい」

彼は将棋が強いだけではない、人として、人間として最も大事なものを持っている。彼がインタビューを受けるときには勝負に敗れた敗者がいる。その気配りもコメントの中で十分感じられる。

そして何より謙虚である。この謙虚さが藤井4段の成長の源であり、多くの藤井ファンをつくる大本になるのだろう。

私もまだ生きる時間がいくらかは残っている。これからでも遅くない、中学生の藤井4段から学ぶものがあるように思う。

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長等小学校 同窓会

2017 年 04 月 28 日号 No415

来週のこの原稿を書いているときには71歳を迎える。今まで自分が様々な営みを紡んでこられた大本は10歳まで過ごした、滋賀の大津だと思っている。

その大津から60年の時を超えて同窓会の開催を告げる電話があった。何年か前に自分の存在を一人の友人が突き止めていた。

10数年前「夕刊フジ」に写真付きの囲み記事に載ったフローレ 21 の記事を東京で仕事していて気づいてくれた。H君は現在小淵沢で悠悠自適の生活を楽しんでいる。

その情報をもとに大津で隣の家に住んでいたTちゃんが電話で同窓会が開催される事をくれ知らせてくれた。

同窓会は40人も出席、乾杯のあいさつに私を指名してくれた。やんちゃ坊主の私は、夏は琵琶湖や疏水で泳ぎ、広い広い三井寺の山を探検、野球のチームをつくり試合もした。

その遊びの中で、きっとリーダーシップのようなものが芽生えたのだろう。泳げるようになると泳ぎの苦手な子の後ろから泳いだり、山登りでは遅い子がいるとスピードを調整したりした。

当日僕の前に座ったD君には柔道の小学生の県大会の準決勝で見事に「体落とし」で投げつけられ敗れた。体も大きく腕力もあった僕が生まれて初めて悔しい思いをした。「必ずD君を投げつける」そんな思いで寒稽古には皆勤したが雪辱の機会はやってこなかった。

D君も僕に会いたいがために京都から来てくれた。脊髄の癌を患い余命2年を宣告され、4年を生きてきた。定年まで毎日新聞で勤め、癌を宣告されてから絵を画描きだした。

D君は私の真裏に住んでいて裏のイチジクの木につかまり塀を乗り越え遊びに行った。D君の父はいつもキャンパスに向かい筆を動かし、あるとき僕にこう語った。「潔ちゃん、僕が書きたい絵はこんな絵ではない、こんな絵しか売れないから描いているんだ」と湖や山や草原の景色の絵を描いていた。小さいながらも生きていくことのむずかしさを感じたのだと思う。D君は来月、京都毎日新聞の主催で個展を開くれるそうだ。

僕が出席すると知ったH君は60年前の僕の彼へ出したハガキを持参してくれた。そのハガキは東京へ出た初めてのお正月の年賀状だった。オートバイに手をかけている自分を描いた絵とお正月の挨拶を書いているだけのハガキを、彼が60年、しかもきれいに保存して見せてくれ感激した。隣のTちゃんは小学校低学年時のツーショット写真を引き延ばしてプレゼントしてくれた。二人が満遍の笑みを浮かべ映っている。私の兄が映したものだった。

貧しい生活だったが、貧しさを感じなかったのは、それをも勝る自分を取り巻く環境があったのだと思う。琵琶湖の美しさ、三井寺の奥深い自然、幾人もの遊び友達と同級生、当時の先生は皆他界しているが何度も頬に平手で殴られた先生も含め、みんな素晴らしい先生だった。そして何よりも大津と言う風土が自分の生きる素地を作ってくれたものだと思っている。

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