コミュニケーション力

2012 年 6 月 01 日号 No164

近頃気にかかることがいくつかある。社員に仕事上での出来事を聞く。たとえば「今 日は店頭で何が売れた?」「一通り平均に売れました」中には売れなかったものをいくつも答える社員もいる。 私の真意は売れ筋の花は何、との問いである。

このことに限らず、聞いていることを答えないで、聞いてもいないことを答えるケース が頻繁にある。コミュニケーションの能力が低下しているのではないかと思うほどであ る。

仕事をする上で大切なものを一ついいなさいと言われたら。私なら即座に「コミュニ ケーション」と答える。23歳で商売を始め、商店街の活動や花屋の組合などに出向い ても一番の若造で、もっぱら人の話を聞いた。今では考えられないが一言も話さず帰 ってきたことも何度もある。

でも人の話を聞くことを苦に思うことはなかった。特に知らない話や自分と違う考えを 持っている人の話は一言も逃さないように聞いていた記憶がある。

聞き上手と言う言葉があるとすれば、きっと私は聞き上手だったと思う。しかし今でこ そ、人より余計にしゃべるが、話すことに自信がなく人前で意見を言うことは好きでは なかった。人前で話さなければならないときは極度に緊張し、胃がねじれるように痛くなり冷汗がでてきた。

いつの日かデール・カーネギーの自己啓発書を読んだとき「あらゆる人間関係に役 立つ提案を一つあげてくれと言われたら、私は真っ先にいい聞き上手になることと答 えるだろう、話し上手になりたければ聞き上手になることだ」このようにカーネギーの本には書いてあった。

今の私が話し上手かどうかは別にして、若い時、たくさんの話をうなずきながら良く聞 いていたことを思い出した。もし仕事で失敗が起こるとすればそのほとんどはコミュニケーション不足が原因だ と思う。

それでは、コミュニケーション能力は高めることができるのか? 私は最も容易に高め る事のできる能力はだと思う。犬はお腹がすくと尾っぽを振ったり、お座りをしたり、中 には吠える犬もいる。そうして私達にお腹がすいたよと訴えてくる。 言葉のしゃべることができない赤ん坊は、おしっこすると泣いて知らせる。お腹がすい ても泣く。話すことができなくても動物は自分の状況を知らせる工夫する。 人はあらゆる動物の中で最も優れたコミュニケーションツール「言語」を持ち、相手の 感情を察する能力を合わせ持っている。

人に伝えるには伝えることを良く理解する。そしてそれを正しく伝える。伝えるべき 人と信頼関係が構築されていればいるだけたやすく伝わり理解していただける。 そして共感を得て納得していただき、行動に移してもらう。

ここに必要なのは道理があ り論理的だということが相手の行動へつながる。

ぜひ聞き上手になっていただきたい、相手の真意はどこにあるのかを聞き取る力。こ の力が備わればコミュニケーション力が大幅にアップする。

仕事だけでなく何事も人は一人では何もできない。物事を完成させるために仲間が 必要です。そしてやり遂げる源泉はコミュニケーション力を一人一人が高めることに尽 きる。このように考えている今日この頃です。

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フローレのいちばん大切なものは

2010 年3月05日号 No49

「会社は誰の為に存在するのか?」 いくつかの存在する理由がある。

一つは大切な顧客と未来の顧客、お客さんの為に存在する。 二つ目は社会を構成する一員として存在するのであるから、仕事を通し社会的 役割を担い、社会に対しなにが出来るかを考え続ける。 三つ目はそもそも会社とは株主が資本を出資し設立出来ているのだから株主に 配当を出し、さらに利益を出すことが必要である。 四つ目は社員やその家族、パートや付随的仕事を共に行なっているパートナー、 これらの人達も会社にとって大切な存在です。

私はフローレにとって4つの存在する理由に序列をつけることを提案した。そして、それを取締役全員で討議した。 ある役員はお客さんがいなければフローレそのものが成り立たない訳だから 「第一番はお客さんでしょう」ある役員は「社会の中で存在していると言う事は その社会的役割を果たすことが一番でしょう」 ある役員は「そもそもそんなものに序列をつけることがおかしい、どれも大切で序列などつけられない」

一時間もの長い間討議をしましたが結論がでませんでした。私自身もその場では順序などつけられない。でも序列をつけたい。それは自分がさまざまな問題に確信のもてる判断をするのに必要だと思ったからです。 結論を得ないまま取締役会が終わり、私の原案を3月までに整えて社内で説明 する事とした。

取締役会が終わり私は何時間も考え続けました。どうしても4つに順番をつけたい。フローレが一番大事にしなければいけないものが4つの中にあるはずだと。 三日目に私なりの結論が出ました。私は昨年、全国仲卸の社団法人設立のパーティーの最後の挨拶でこう言いました。

「花は人を幸せに出来る、花を買った人や花を贈られた人が幸せになるためには、花を作っている人や花を売っている人が幸せにならなければなりません・・・」

私はフローレの社員やその家族が幸せにならなくては、とてもお客さんにも満足な対応などできるわけがない。フローレとして社員やその家族の幸せを一番に考える事が全てに通じるのではないかと考えました。

考える事は出来てもこれからが大変です。フローレは上場することはすでに諦めました。そんなに沢山の利益を出す事を求めなくてもいい。社員やその家族 が今より少しずつ幸せになれるだけの利益をだし、少しでも幸せを享受した社員は、その幸せをもらった多くのお客様に日々感謝し仕事をする。

自分達が働く会社が一番と思ってもらえる。自分が所属する組織を愛し感動する社員、この社員が真に心を込めた接客やサービスと感動をお客様に伝える事が出来る。 そんなフローレを早く実現したいと思っています、私の自己革新努力にかかっています。

 

 

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新しいフローレ21

2012 年5 月04 日号 No160

1989 年、前身フローレは日本一の花の仲卸を目指して商社Mと『フローレ21』設立しました。スケールメリットこそが顧客満足度を高めることだと信じ、売上日本一を目指しました。バブル期にかけて売上は毎年上がりましたが、お客様から大きな評価をいただくことができたかと振り返ると疑問が残ります。

その後、M社とは関係を解消し、設立から20 年が経った頃、商いの大きさと顧客満足度は決して同一線上にあるのではない、ということに気付き、今までの商売についての愚かさを反省しました。

2010 年会社の舵を切り始めました。新しい会社経営理念を定め、役員を先頭に悪しき体質、悪しき習慣からの脱却を目指しました。「花は人を幸せにできる」を合言葉に、花を買った人、花を贈られた人が幸せになるためには、売っているわれわれが幸せでなければならない。

会社や仕事に不満や疑念を抱いていてはお客様に満足を頂ける仕事ができるわけがないとも思いました。そして2012 年5 月私達は新しい道を見つけ、第一歩を踏み出しました。

社員の名刺には美しい新生フローレ21 のロゴマークが光っています。それは三本のエレメント(要素)が重なりあったものです。色は水色、オレンジ、ピンク。

オレンジだけ一辺の先が尖がっています。中心の水色のエレメントはフローレ21 のお客様、そしてこれからお客様になっていただく未来のお客様を表しています。

ピンクのエレメントは「花は人を幸せにできる」の経営理念そのものではり、私達にとって大切にしなければならない花を表しています。そしてピンクには愛や楽しさそして美しさを感じ取れる意味合いを込めました。

最後は左下から右上へ勢いよく伸びているオレンジのエレメント。社員の力強さ、未来志向、たゆまぬ成長を願ったエレメントです。中心部の色の重なりは、お客様と社員が花を通してコミュニケーションを豊かにする、そのものの意味を込めております。

これらのエレメントの下にはグリーンの文字でフローレ21の文字が刻んであります。グリーンは大地を表し、緑の大地にどっしりと腰を下ろし、根を張る。この社会になくてはならない存在へと進化し続けるフローレ21 を願っています。

私たちフローレ21 は決して商いをするだけの組織ではありません。いつの日か従業員は共通の夢や希望が持てるよう、従業員全員が共通の目標に向かえるように、それぞれが成長し続けられるよう努力いたします。これは社長と役員の仕事です。

私達が夢を持つことができるのも、成長し続けることができるのもお客様がいるからこそです。お客様に喜んでいただくことを最大の喜びとし、今日から新しい道を歩みはじめます。

 

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長等小学校 同窓会

2017 年 04 月 28 日号 No415

来週のこの原稿を書いているときには71歳を迎える。今まで自分が様々な営みを紡んでこられた大本は10歳まで過ごした、滋賀の大津だと思っている。

その大津から60年の時を超えて同窓会の開催を告げる電話があった。何年か前に自分の存在を一人の友人が突き止めていた。

10数年前「夕刊フジ」に写真付きの囲み記事に載ったフローレ 21 の記事を東京で仕事していて気づいてくれた。H君は現在小淵沢で悠悠自適の生活を楽しんでいる。

その情報をもとに大津で隣の家に住んでいたTちゃんが電話で同窓会が開催される事をくれ知らせてくれた。

同窓会は40人も出席、乾杯のあいさつに私を指名してくれた。やんちゃ坊主の私は、夏は琵琶湖や疏水で泳ぎ、広い広い三井寺の山を探検、野球のチームをつくり試合もした。

その遊びの中で、きっとリーダーシップのようなものが芽生えたのだろう。泳げるようになると泳ぎの苦手な子の後ろから泳いだり、山登りでは遅い子がいるとスピードを調整したりした。

当日僕の前に座ったD君には柔道の小学生の県大会の準決勝で見事に「体落とし」で投げつけられ敗れた。体も大きく腕力もあった僕が生まれて初めて悔しい思いをした。「必ずD君を投げつける」そんな思いで寒稽古には皆勤したが雪辱の機会はやってこなかった。

D君も僕に会いたいがために京都から来てくれた。脊髄の癌を患い余命2年を宣告され、4年を生きてきた。定年まで毎日新聞で勤め、癌を宣告されてから絵を画描きだした。

D君は私の真裏に住んでいて裏のイチジクの木につかまり塀を乗り越え遊びに行った。D君の父はいつもキャンパスに向かい筆を動かし、あるとき僕にこう語った。「潔ちゃん、僕が書きたい絵はこんな絵ではない、こんな絵しか売れないから描いているんだ」と湖や山や草原の景色の絵を描いていた。小さいながらも生きていくことのむずかしさを感じたのだと思う。D君は来月、京都毎日新聞の主催で個展を開くれるそうだ。

僕が出席すると知ったH君は60年前の僕の彼へ出したハガキを持参してくれた。そのハガキは東京へ出た初めてのお正月の年賀状だった。オートバイに手をかけている自分を描いた絵とお正月の挨拶を書いているだけのハガキを、彼が60年、しかもきれいに保存して見せてくれ感激した。隣のTちゃんは小学校低学年時のツーショット写真を引き延ばしてプレゼントしてくれた。二人が満遍の笑みを浮かべ映っている。私の兄が映したものだった。

貧しい生活だったが、貧しさを感じなかったのは、それをも勝る自分を取り巻く環境があったのだと思う。琵琶湖の美しさ、三井寺の奥深い自然、幾人もの遊び友達と同級生、当時の先生は皆他界しているが何度も頬に平手で殴られた先生も含め、みんな素晴らしい先生だった。そして何よりも大津と言う風土が自分の生きる素地を作ってくれたものだと思っている。

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発刊の言葉

秋/2011 の記

厳しい経済状況の中、売り上げは減少する。社員もいまひとつ元気がでない。

困難な問題に直面したとき、決まって相談にうかがう先がある。この日もH社の社長と話をしていた。「花業界の市場も仲卸も、問屋といわれるところが小売店のリテールサポートがないのはこの業界ぐらいだ」「だからフローレでそれができれば必ず小売店から信頼していただける」「それもフローレしか、できないことをすること」。この三つの言葉へいくまで、いくつもの事例や必要性を説いていただいた。

フローレには三つの営業拠点がある。世田谷市場場内、大田市場場内、葛西のロジスティックス部門(2016年9月に場内も開設)。これらの拠点から一週間に一回、お客さんに知らせたい情報や知っていただきたい情報を発信する。その情報が取れたてで、旬のものであればあるだけ喜んでいただける。「ホットニュース」の名に恥じない情報を一週間に一回、出し続ける。

私は、これとは少し違う角度から、H社とフローレの社員に私の考えていること、学んでもらいたいこと、花業界の動きや社会の出来事を伝える、このようなコンセプトで始まった。

(中略)

3月11日に日本を襲った大震災以後、私たちは持ち続けていた価値観の転換を求められている。それはフローレだけが勝ち残り、フローレだけが生き続けるという理念は通用しなくなっているということだ。

小学校の頃だと思うが、静岡の登呂遺跡の見学に連れて行かれ説明を受けた。竪穴式住居や水田跡、千八百年もの前、集落全体で人々は生活を支えあっていた様子がうかがえた。

いつの頃からか「競争」「自己責任」「勝ち組、負け組」「受益者負担」などの言葉が当然のように使われ、一人一人が分断され、互いが干渉しないことが好ましいという風潮まであらわれた。誰からも干渉されないことが快適な生活だとしたら、豊かな生活とは反対側にあるように思われる。

豊かさを計る物差しの一つが、花が生活の場で、花があらゆる場面で、どれだけたくさん使われているかが一つの基準といえる。その豊かな社会、豊かな生活の根っこは間違いなく、人と人が助け合い支えあうことにあると思う。苦しんでいる人、困難な問題を抱えている人、社会的弱者にこそ、社会の光が当たらなければならない。

花を生業としていることに大きな誇りと喜びを秘めながら、より豊かな社会とより豊かな生活の実現へ「ホットニュース」がその一助になれば幸いです。これまでホットニュースにお付き合いいただきました読者の皆様に感謝し、発刊の言葉といたします。


企画室より

2011年秋、ホットニュースは100号の発行を機に冊子になりました(非売)。今稿は、その冊子一号の発刊にあたり、小池社長が記した言葉を掲載しました。

2009年の発刊以来、小池社長が抱いてきた「豊かな社会と豊かな生活の実現」によせる希望、そして「花は人をしあわせにできる」という信念を、今あらためて発信することで、ひとりでも多くの人に希望をあたえ、未来への懸け橋になれば幸いです。

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